スポンサーサイト
新しい記事を書く事で広告が消せます。
竹田女子
竹田(ちくでん)は豊後国岡藩の藩医の家に生まれ、藩校「由学館」で学びながら「豊後国志」の編纂に従事しました。その後、江戸に出て頼山陽ら文人と交流し、詩画に専念して独自の画風の南画を描きました。煎茶が流行した江戸時代後期、竹田自身も煎茶をたしなんだそうです。
竹田の旧宅「旧竹田荘(ちくでんそう)」(国指定史跡)を解放しての茶会は、昭和9年から顕彰会が続けている秋の恒例行事です。毎年、市内にある5社中が、交互に茶席を担当しています。
城下町を見下ろす野だて席では、岡藩主に献上していた竹田を代表する銘菓「荒城の月」と薄茶を。母屋を解放しての本席では、「三笠野」と濃い茶を頂きました。床の間には、竹田の南画「観音尊像図」(写真上)かけてあります。お煎茶席では、落雁「竹田荘」とともに、味わいました。お煎茶のお点前は、拝見する機会が少ないので、可愛らしい茶器にうっとりします。
光っていたのは、県内で最も古く、名高い和菓子屋・但馬屋老舗のお嬢さん、板井理美さん。
茶会を開けるのも、日々研鑽を重ね、もてなして下さる方がいらっしゃるからこそ。今日の茶会のお菓子はもちろん(但馬屋製)のことですが、若い彼女が日々お稽古に励み、遠方からのお客様をおもてなしできる、って素敵なことだなぁ、と感じました。彼女は竹田薪能の実行委員でもあり、商人、城下町の文化の継承者でもあります。竹田女子のお手本
日田美人とか、竹田美人とか言うけれども。花を生けたり、お茶でおもてなししたり、書画を愛でたり、ささやかな心遣いができたり、その地域に、こうしたおもてなしができる文化が根付いているかどうか、なのかもしれませんね。見渡せば、周りに日本の文化芸能をたしなむ先輩方がたくさんいらっしゃいます。
今日は、小菊の小紋に、さわやかな若草色の帯を合わせました。
祖母の箪笥に眠っていたお着物が、数十年ぶりに?日の目を浴びました。
■参考リンク
城下町の文化人、但馬屋老舗・板井良助社長のブログ「当主の独り言」
- [2010/11/04 06:00]
- 和のある暮らし/Japanese life style |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
コメント
お茶とお菓子と文化の日は「和」って感じで時には触れたいですね!
いやー格式が高い!
着物で歩く城下町
** tanosuke様 **
和装で過ごす一日、よいものです。献茶式は4度目の参加でしたので、私自身も「和」スタイルで出席させて頂きました。いつも階段は2段抜かしで健脚をアピールしていましたが…お恥ずかしい(苦笑)しずしずと、歩く歩幅を変えるだけで、毎日歩く城下町の風情も違って見えますね。
今夜の稽古は、半年ぶりに炭を入れました。パチパチと静かな音をたて、湯が湧きます。晩秋の始まりの、心静かなひとときです。
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://heidihill.blog26.fc2.com/tb.php/848-67014401
- | HOME |
コメントの投稿