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地球と遊ぼう、ハイジの丘協会 作曲家・瀧廉太郎の命日に

作曲家・瀧廉太郎の命日に 

今日は、作曲家・瀧廉太郎先生が、23歳の若さで亡くなった日。
城下町にある瀧廉太郎記念館や、母校の竹田小で献花式が行われました。

 JR豊後竹田駅に電車が到着すると流れる曲、歩くと曲が流れる「廉太郎トンネル」などでも耳馴染みなだけでなく、何かにつけて竹田市民は歌う機会が多い 国史跡・岡城跡をモチーフに作曲したとされる「荒城の月」は、竹田を代表する銘菓としても親しみ深い。

 竹田にきて発見したこと。一つは、大人も児童も、廉太郎のことを「瀧先生」とお呼びし、敬っていること。二つめは、私たちが小学校で習った「荒城の月」は、大正7年に山田耕筰が伴奏を付けたもので、原曲と異なるということ。

 大分県先哲叢書「瀧廉太郎」(松本正著)によると、音を短3度高くニ短調に移調し、原曲の音価を倍にしたことで旋律全体を16小節に拡大。ゆっくり情感をこめて歌うように編曲された。一般的にはシャープを落として普通のホ音で歌われているけれど、大正6年発行の『中學唱歌』にはまだシャープがある。大正7年の山田耕筰の初版本にもついているが、同13年発行の楽譜では消えている、のだとか。
 しかし、地元の記念館の合唱団が歌い継ぐのは、2小節のホ音にシャープが付けられている、あくまでも原曲。廉太郎先生を心からお慕いし、顕彰申し上げている元音楽教諭・後藤誠子先生の強いこだわりです。

 雨音に、大きな口を開けて歌う児童の姿や、ピアノ伴奏の音が重なります。
それにしても23歳って若いよねぇ・・・。遺作となった「憾」(うらみ)という譜面に、どんな思いを託して逝ったのでしょう。

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