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地球と遊ぼう、ハイジの丘協会 sakuraの灯

sakuraの灯 

「もう1週間も、何も食べてないんだ。長くないかもしれない」と父からの電話。

毛の長い、銀色のしっぽを優雅になびかせ
いつも朝食の食卓には、家族と椅子を並べた愛猫sakura。
危篤の一報だった。

1992年大分市富士見が丘生まれ。
私たち4人弟妹の末っ子として、元気にあの団地を走り回った。
 弟がサッカーでゴールを決めた日も、
 両親が喧嘩をした夜も、
 4人がそれぞれの学校に入学した朝も、
皆の語り相手になってくれたロシアンペルシャ。

猫の18年は、人間にしたら百歳の大往生なんだとか。
私たち家族の成長を、ずっと見守ってきてくれた。
その思い出をギュッと両腕に抱きかかえたら、こんなにも軽くやせ細ってしまったのかと
涙がとまらなかった。
ここ1週間、餌も全く受け付けず、瞼は半分閉じ、
今は、こたつ布団のそばでうずくまっている。
水は飲むし、かろうじてトイレには行けるのだけど、
獣医師によると、これが老衰というのらしい。

深夜の電車で県外から帰ってきた弟もそろい、
小さくなったsakuraに添い寝をするように、当時の家族全員で炬燵を囲んだ。
さくらのいる風景

子猫の頃、小鳥を捕まえてきて部屋中を羽根だらけにし、私たちをビッックリさせた。
父の大切なスピーカーに爪をたて、
隣の菜園を荒らして大目玉を食らったことも。
母の花畑で、よく跳んで遊んだ。
おてんばだったsakuraと過ごした素敵な歳月と
まだ小さかった私たち弟妹が大人になり、独立し、
新しい家族を持つようになった18年を重ねる。

この命の灯火を、温かく、それぞれの胸に刻み
静かに旅立つ瞬間を、今このひととき、
それぞれの場所から祈るように、見守っている。

今はただ、sakuraがいる風景が、たまらなく愛おしい。

神ながら、守り給え。




追記。
同日4月16日夕方、「今sakuraが天国に旅立ったよ」と父からの電話。
もう動かない小さな亡骸を一晩抱き、家族でワンワン泣きました。
こんなに泣いたのは、いつぶりでしょう。
sakuraが遊び回った母の花畑に、小さな十字架を建てる予定です。

ありがとう、sakura。
天国でまた会おう。
在りし日のさくらphoto and coment by Jiro Nagata
△「最近、立っているのもつらいのにゃぁ~」と言いたげ?在りし日のsakuraにゃん。

コメント

引っ越す前は猫と一緒に住んでいたよ

子供たちが小さい頃、よく遊んでくれた

何回も猫の死を目の当たりにした子供たちは命の尊さをその時に学ばせてもらった

猫は不思議で愛すべき家族だよね!!

頑張れとお伝えください。私の愛犬は私が東京で就職し、都会の生活に少しなれてた矢先に亡くなりました。旅立つ日にその場にいなかった後悔。父の転勤で別府から竹田の荻町に移り、すぐに友達はできた。小学生の僕に環境なんかどうでもよかった。野球チームがあって、みずみずしい野菜があって、笑顔あふれる町があればよかった。太陽は海からではなく山からのぼり、山へ沈んでいく町の中、団地から小さな一軒家でくらす嬉しさと、団地ではすぐに友達がいるのに、一軒家は回りに友達がいない寂しさの中・・・。小学校のクラスの教室に4匹の犬の絵が手書きで描かれており、(犬飼いませんか?)の張り紙がありました。速攻親に相談し、(たぶんダメと言われても自分の誕生日プレゼントやお年玉やクリスマスプレゼントなんかいらないから飼ってもいい?と言ったであろう・・・。自分でお世話するなら飼ってもいいよという返事をもらった記憶がある。犬がくる前に犬小屋を作ってワラをひいてあげて、弟はその犬小屋の中に入って遊んだりしてた。犬が我が家に来た。とてもかわいい柴犬と雑種の混合で、とてもとても愛くるしい表情の犬でした。ミルクあげたり、味噌汁ご飯与えたり、10分おきに犬小屋みに行っては、散歩したりして・・・。時に散歩するときに兄弟でケンカにもなったりした。あー、食べた、あー、うん○したー、あー、おしっ○父の白い単車にひっかけたー、家族で一喜一憂した。・・・こんな最初の気持ちは時間や年月が過ぎて、散歩も一日一回、ひどいときは行かない日もあったり、飼い主としては失格でした。まずあいつの最後を見送れなかったから。犬を飼いたいと言いだしっぺの僕が、旅立つ瞬間にその場にいなかったこと。毎日一回、10分の散歩やお腹ナデナデしたりすればよかった。それを野球で疲れてるからとか、眠いからとか訳の分からない理由で愛犬との貴重なスキンシップな時間を裂いてしまった後悔。愛犬の子供が欲しかったなと思った。自分はさっさと結婚してしまい、愛犬は結婚も家族をもつこともできなかった、させなかった、考えもしなかった自分への後悔。愛犬が生きてた頃、帰省したとき、久しぶりなのか愛犬は腰と尻尾をグイングイン振って、近寄ると飛び掛ってきて、お腹を見せては触ってくれポーズをしてきた。僕や来客者を迎えてくれた。いつもどんなときも。父のかわりに夜中に吠えてくれたりもした。何回か泥棒らしきやつに吠えたりしてた。そーいえば竹田から日田に移り、日田で暮らしてたとき、となりの民家で火事があった。その日おかしいくらいに吠えてた。気になって外の様子見てみると・・・火事だった。びっくりした。本当にびっくりした。・・・書くと終わりそうにないからこの辺で。頑張れとお伝えください、さくらちゃんに。

ペットの死

** 黒ちゃんことウルフ様 **
日曜日の神原トレッキングでは、癒やしの時間をありがとうございました。多用な日々が続いていますが、一瞬の癒やしのひととき、楽しめましたよ。次回は、是非修業に。

ペットの死は、小学生の頃愛犬チロに続きますが、家族で、家庭で”看取る”ということが少なくなった時代に、大切なことを教えてくれます。

ゴン太とピーター

** 永遠の野球少年ピーターへ **
熱いメッセージ、初コメント、ありがとさん。ってか、勝手にピーター名乗らんで欲しいわ(笑)
君の言葉通り、sakuraは最期までがんばりました。彼女の亡骸を炬燵のそばにおいて、家族が一晩中、抱きしめました。人間とベタベタしない気性だったので、生前ならば引っかかれていたハズ。初めて肉球を触ったよ(笑)。止まらぬ涙をボトボトと落としながら、いつか君が、愛犬ゴン太の嫁を探していたことも、思い出しました。

荻町で出会った親友だったんだね。夢見る野球少年3人との、数々の思い出。お父様の亡き後、ゴンが家を守ってくれたこと。火事まで知らせてくれるとはデキル愛犬。

>最初の気持ちは時間や年月が過ぎて、散歩も一日一回、ひどい時は行かない日もあったり、飼い主としては失格でした。
小学校の頃、我が家でもチロという雑種の犬を飼っていました。「絶対にお世話するから」と弟妹の誰かが言い出したのに…全く同じでしたね。ご飯にみそ汁をかける猫マンマというやつ、亀の餌、チロは何でも食べました。猫の缶詰しか食べないペルシャ猫sakuraとはエライ違い…。今思い出しても、もう少し可愛がってあげれば良かったと、胸が痛みます。

>愛犬の子供が欲しかったなと思った。
我が家もsakuraをもらう際に、避妊手術をしたのですが、やはり同じことを考えました。こんな可愛い猫ならばその子孫を抱きたかった、と。命をコントロールするのは、犬猫が私たちのペットである以上、人間社会のエゴだと思います。

私たちの最も身近で、尊きことを教えてくれる動物の命。
命あるすべてもののに、ハイジがもう少し優しくなれますように。

ピーター、ありがとう!

悲しい…

サクラは私もお邪魔したときに、何度も見てるけど、毎回思ってたのが、

「この子は本当は人間なんじゃないか」

と…。

そのぐらい、喋ってる内容も理解してた気がする。

淋しいけど、色んな事を学ばしてもらったね。

にゃにゃにゃん

** yukaちゃん **
実家に帰ってもsakuraの鳴き声が聞こえないので寂しいです。いつも実家に遊びにきてくれる度、sakuraのことを可愛がってくれてありがとう。人見知りするsakuraも、yukaちゃんには人の倍、甘えてたものね。

今度、尻尾でもつけて、猫語でガァールずトークでもしますかv-283にゃん

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