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地球と遊ぼう、ハイジの丘協会 学問のすすめ

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学問のすすめ 

熱いモノが
ぐつぐつぐつ。

なんだか、最近、熱い。
もっと学ばねば。もっと知りたい。伸びたい。向上せねば、という焦り。

彼らのこの輝きは、一体何なんだろう。
教養も愛情も豊かで、自信に満ちあふれた若き仲間に出会って
己の小ささが、恥ずかしくてたまらないのだ。

あー、なんと学識のない自分。
追いつけないけれど、手にかいた冷や汗を
縮まらないこの差を。
どうやったら、あなたのようになれるのだろう、と。

都会でばりばり働いて、勉強する友人の話を聞いて
いけない、このままでは、と。
自分を戒め
久々に手にとる大学受験の歴史本や、時事英語の教本に赤線を入れる。

この赤線の矢印がどこへ伸びていくのか、まだ分からないけれど。
でもそういえば、
やりたくて、やり残したことは
確かにある。


「学問のすすめ」(福沢諭吉)より
昔から有能な人は心労を重ね世のために力を尽くしてきた。
文明という遺産は古人の徳による恩恵である。

いまの世に生まれ、国に報いる心を持つほどの人間なら、日本の将来に大きな不安や悩みなどを持つ必要はない。目的はただ一つ、国の平和を守ることのみである。
そのためには、人民一人一人が自分の行いを正し、学問に志し知識を広め、各自の立場に応じて才能と人格を磨くことが、何よりも大事である。見識を高める唯一の秘訣は、より高い段階を目指し、決して自己満足しないこと。
「生まれてからいままで、自分は何をしてきたか。これからどうすべきなのか」と自己点検。
人望とは、その人の才能と智恵の働きと、正直な心、つまり誠実さによって、徐々に得られる。

一身に備わった自分の性格、実質的な実力を存分に発揮し、社会に貢献するための3条件として
1、「ことば」の効果的な使い方を学ぶ
2、顔かたちを明るくし、人と会ったとき、人から嫌われないようにする
3、旧友を忘れず、新しい友を求める
一身の衣食住が確立すれば、それで満足するという人生なら、単に蟻と同様のことをしたにすぎないのであって、蟻以上のものではない。

コメント

人間は、全知全能である。しかし無知無能でもある。
自分の全知全能ぶりについて、言葉で、「知識」として説明したり証明したりできるか?
これは永久にわからない。その全知全能ぶりは、あまりにもはかりしれぬ深みと高みにある。
この全知全能であるという事実には、頭を垂れる、感謝するのみ。
我々は、試されているのだ、と思う。その全知全能の、どこまでを発揮できるのか?
人は、人の社会は、豊かな自然の一部分になったとき、そこからは自ずと美が生まれてくる。神聖さを伴ってくる。これが全知全能であることの証明なのだろう。
その美や神聖さの根源には「愛」があるのかもしれないが、もうそれは知識をもって説明などできるものではない。
それらは、すでに我々が生まれもって内にもっているものが発現したもの。
我々はそれを感じ取り、ありがたく、またかたじけなく思う。
それは、人間に限ったことではない。この「蟻」を含めて生命をもったものすべてに共通していることではないか。
「己の小ささ」=無知無能であるという認識、これは恥ずかしいことではない、素晴らしいことなのではないかな、と思います。

分かりますわ~、なんか...
元々、hierarchy は嫌いなんですけど、
20前後の子らと勉強してると、自分はもっと知識がないといけないっていう、自己的な脅迫観念に襲われます(苦)
この年でその知識?的なね。
ま、それと同時に「ふ、まだ甘いな!」って周りの子らに思う事もありますけどね(笑)
自分が気をつけている事は、向上心の出所がinternalかexternal か、という所ですね。
disagreementは多々ありますが、基本は自分はGandhi殿のprotagonist なので、常にinternalのswaraji ( self- rule) を意識する様にしてますが、これもexternalityとのバランスですよね♪
それにしても今のglobalismを見たら、諭吉さんも「見守る」なんて優雅な事言ってないですよね (笑) level of analyses が余りにも変わりすぎてしまいましたからね...
古き良き時代でしょうね...
「蟻の様に」働く事が美徳と擦り込まれた世界絡みのhyper-capitalism の日本で諭吉さんの言葉は痛いね。
ここら辺は、working class と intelligentsia の意識の違いの様な気がして、個人的にもfrustrationを感じますね。諭吉さんが言ってる知識の向上とは、intelligentsia class の拡大と言う事を最終的には言ってるのでしょうか??個人レベルの向上は分かりますが、個人と国とのつながりに関しての向上はどの様に比例し得るのか、諭吉さんの見解に興味がありますね。
Platoのphilosophy は嫌いですけど、彼の言うoligarchical elitism が世の常だと仮定すると、諭吉さんの言う自己の向上には制限がある様な気が...
いや、実際自分は彼の文献を読み砕いた事がないので分からないんで、興味がありますねぇ。
first impression ではちょっとelitism のideal な感じがするんですけど (Gandhi殿にも言える事なんですけど) どうなんですかね?
個人的には感銘を受けるけど...
めっちゃ気になる~(笑)
Heidiさん的にはどう思います?

興味があるけん、ちょっとつっこんで聞いて見たくて~。
一応major やけんさ~、ここら辺のphilosophyって~。

頭を垂れて、感謝する

研究中のお二人からの流石のメッセージ。身につまされました。

** フナタロー様 **
>人は、人の社会は、豊かな自然の一部>分になったとき、そこからは自ずと美>が生まれてくる。神聖さを伴ってく
>る。その美や神聖さの根源には「愛」>があるのかもしれないが、もうそれは>知識をもって説明などできるものでは>ない。

このメッセージを。
何度も何度も繰り返し読みました。言葉にならなかった私の気持ち。

頭を垂れて、感謝する。
「かたじけない」

昔、予備校の恩師と学問について語り合った日のことを思い出しました。道がある限り・・・。
光に向かって歩んでいきます。

そして、フナタローさん。
ありがとうございました。
        心から m(__)m

続・学問のすすめ整理中

** LeTakさん **
明治の始めに。日本が諸外国になめられないよう、一般市民の皆さん、賢くなってね、と説いたベストセラー。

諭吉文献、読破してませんが。Le Takさんの言う、個の向上と国家の関係について整理する必要があったので。今読み返しているところです。結論的には、身分階層に関係なく、勉強して才能が高まれば、国と対等に意見を交換できる、と言ってるから、内発的向上心と言ったら違う気がします。明日、詳細をアップします。

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