広告
地球と遊ぼう、ハイジの丘協会 大分学のいま

大分学のいま 

7月30日に大分市で開かれた、「大分学研究会第1回例会」で、会長の辻野功・別府大学客員教授が「大分学のいま」をテーマに話しました。辻野先生の著書にもありますが、大分県が育んだ人材について面白いデータを紹介します。大分弁で「知らんかった」ことがいっぱいありました。

大分学とは、大分の魅力を多面的に、即ち色々な面から明らかにする学問である。

②大分の魅力は素晴らしい景観、美味しい食、世界有数の温泉など色々あるが、なんといっても人間の努力が生み出した歴史、特に人材である。

大友宗麟は16世紀のヨーロッパキリスト教世界では、一番有名で最も尊敬された大名であった。その結果、ヨーロッパの地図では九州全体が豊後と表記されている。『ガリヴァ旅行記』にも、九州が豊後島として出てくる。

④小藩分立時代の大分県域の魅力は人材輩出である。緒方富雄・東大名誉教授編の江戸時代の洋学者たちという本で、洋学者64人のうち、6人が大分県域諸藩。前野良沢・福沢諭吉(中津藩)、三浦梅園・麻田剛立(杵築藩)、帆足万里(日出藩)、大蔵永常(天領日田)の6人が取り上げられている。大分県は人口1%県だから、0.6人か0.7人、四捨五入して1人取り上げられたら充分であるのに、人口比10倍の6人が取り上げられている。

⑤人材育成・輩出の歴史は明治維新後も続き、日本銀行総裁は28人・30代中、4人・5代が大分出身者である。即ち山本達雄(臼杵)、井上準之助(日田)、一万田尚登(大分)、三重野康(大分)である。

ポツダム宣言受諾を決めた御前会議の構成メンバーの半分は大分出身者であった。即ち阿南惟幾陸相(竹田)、梅津美治郎参謀総長(中津)、豊田副武軍令部総長(杵築)であった。この大分3人組の苦心のお陰で、陸軍のクーデターを防ぎつつ終戦にこぎ着けることが出来たのである。

⑦御前会議において天皇陛下のご聖断によって終戦に導く構想を立て、実現の根回しをしたのは前小磯内閣の外相だった重光葵(杵築)である。

以上、事務局長・楢本譲司さんがまとめた例会資料より転載しました。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://heidihill.blog26.fc2.com/tb.php/1192-8c261799