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地球と遊ぼう、ハイジの丘協会 森と生きる、狩の旅   =ハニーのキス=

森と生きる、狩の旅   =ハニーのキス= 

先住民のことば

△(訳)「私達には、お金なんかいらなかった。ただ必要だったのは、1、2羽の鴨、それに1頭の鹿があれば2、3家族で分けることができたさ。最も価値のあるものは、アザラシのレバーだって知っていた。私達は、かつて世界で一番豊かな民だった」
アリューティック博物館にて


▼11月1日、気温-5度。
夜8時、外はもう真っ暗だった。キャンプ道具一式をバンに積み込み、ハニーはリンダママにお別れのハグとキスをした。普段から、周りのみんなが気持ちよくなるくらい仲のよい夫婦だが、ハニーは九州男児くらいシャイなジャーマンで、アメリカ映画に出てくるような人前でのスキンシップは見たことがなかった。いつも一緒にソファーに並んでブランケットをかぶり映画を見る2人、毎朝美味しいコーヒーを入れてママのベットに運ぶハニー、これを見ていれば十分ですが。その彼とママのキスは、星が飛びそうなほど、お茶目で可愛らしかった。「ちょっとその2人、そのキス、もう一度やってみて」なんてからかったりなんかして(笑)

車に乗り込み、「イヤッホー!待ちに待ったキャンプ。いざ、出発!」

後部座席は取り外してあり、寝袋の上に腰を下ろしてはしゃく私。胸の高鳴りは抑えることができない。何故なら、このキャンプの前評判が、誰に聞いても「That's great!」、二重丸、あまりにもよかったからだ。コディアックはとにかく美しい、アラスカといえば狩だが地元の人でもなかなか機会がなければ経験できないこと、古き良き未開のアラスカを知るこの町で最も経験を積んだ優れたハンターと山入りできる・・・といった最高の機会に恵まれた。体力には自信があるが、雪を知らない、どんな悪天候が予想されるか分からない。手伝いどころか、私の世話見で面倒をかけることになるかもしれない。キャンプ経験のない私は、本当に連れていってもらえるかどうか、今日の今日まで心配だった。カール・マイヤーの狩の旅を聞いたのが7月。あの瞬間から、ずっとこの機会を待っていた。Dreams come true!

フェリー乗り場のスピットまで車で15分。フェリーターミナルで受付を済ませ、温もらない車の中で10時半の出航を待った。州営フェリーは船の料金は、コディアックまで大人片道72$、割引券を使ったので50$になった。車(15'以下)1台は103$(運転手込み)。所要時間は片道10時間だ。大分-大阪をつなぐダイヤモンドフェリーには、雑魚寝の部屋があり、風呂まであるが、そんなこと知ってても、知らぬふり?背もたれの殆ど倒れないシートとファミレス風のベンチ椅子・机が並んでいる。膝を折って横になれるほどの長椅子に寝袋をセットするが、なかなか眠れなかった。

消灯時間がきて、時白いシルクのブラウスに細い黄色のベルトをつけた男性が近寄ってきた。「お嬢さん、こちらの方が椅子が長いから、移動されませんか」と声をかけてくれた。50歳くらいだろう、小柄で赤毛の髭をはやしている。彼らはオールド・ビリーバーと呼ばれ、この男性の民族衣装は、ホーマーでは米国化によりあまりこの姿が見られなくなってしまった。それでも小学校に行くと、ブルーやオレンジのブラウスを着た男児が数人いる。女性は、足首までの長いワンピースに、既婚女性はスカーフをまとう。これらは、全て母親が縫うそうだ。100年も昔、ロシアの宗教戦争で土地を追われ、中国に逃げた彼らは、ブラジルから米国内に、一部の組がアラスカに北上。ホーマー市には現在3つの村があり、それぞれの部落が教会を持っている。彼らは通常10代中頃から20代前半で結婚し、5人から15人くらいの大家族で、畑を耕して暮らす。赤髭の男は、家族3人で島に帰る途中なんだ、と言った。私は10歳の少女と机を挟んで横になる。彼女の咳がとてもひどかったので、寝袋を譲った。


▼11月2日、快晴。
近所に住むハニーの友人も狩に行くらしい。偶然、同じ船に乗り合わせた私達は、4人で朝食をとって下船した。健闘を祈る、そう言って別れる。薄いピンクの朝焼けが港を包み、山頂から半分まで雪をかぶったMt. Glottof(標高1342m)を臨む。

ビューティフル。

朝は、いつも違う表情を見せてくれる。昨日の夜明けも特別だったが、凛とした空気に穏やかな朝日の出迎えは、私達を裏切らなかった。

コディアック島は、アンカレッジから空路400km、キナイ半島の南に位置する、アラスカ最大の島。周辺には常緑の島々が点在する。海洋性気候で雲や霧、強風も多いが、温暖で凍結することはほとんど無い。夏期は摂氏3.9度から24.4度、冬期は摂氏-10度から+7.8度、11月の平均気温は4.4度だ。
空中遊泳コディアック

△「空中遊泳コディアック」空から見た島の一部


デッキは凍っているが、ホーマーほど寒くはない。向かう先は、ジャックの家。今回のキャンプでは、テントではなく、小屋を借りることにした。彼はコディアック市内から南西40kmのウグアック・ベイに2つのキャビンと2人乗りのプロペラ機を所有している。彼の水上飛行機のある湖や、彼の自宅を行ったり来たり、道にも迷いながら、彼に会えたのは9時頃だった。ゴールデン・ビーグルのフレンドリーすぎる歓待に渋い顔のフォレスト。湖が凍ってるから、氷が溶けるまで飛行機が出せない、とのことだった。昼過ぎに飛行場で待ち合わせることにして、私達はアリューティック博物館に行くことにした。

この島には約8千年前から人類が住み、1763年に初めてロシア人が上陸した頃は太平洋岸エスキモーのコニアグKoniags族(サグピック語族)が6,5千人以上住んでいた。その後、ラッコを捕獲させて毛皮の輸出業が始まり、ロシア領アラスカの最初の首都となる。1867年アラスカがロシアからアメリカの手に移るまで、コディアックの先住民の人口は破壊的な減少となり、彼らの文化も消滅した。ラッコの毛皮は主要産業として伸び、乱獲によってまもなくラッコの絶滅へと繋がる。1882年カーラック岬Karluk Spitに缶詰工場ができ、コディアック島の水産業が俄かに活発になり、合衆国最大の漁港に成長した。市内南部には、合衆国最大の沿岸警備隊基地U.S. Coast Guard Stationや、商業用ロケット発射場もある。


▼ジャックの飛行機ではイーグル・ハーバーまで2往復しなければならない。交渉の結果、1回の飛行で住む4人乗りのチャーター飛行機を使うことになった。3人の体重と荷物の計量。1度に運べるのは、パイロットを除いて500kgまでだ。22kgの重量オーバーで、不要な食糧や衣類を減らすことになった。ジェニファー特製スープ、悲しいけれどサヨウナラ。

光の中の水上飛行機

△「光の中の水上飛行機」。湖にはたくさんの鴨の群れ。

2時45分、マックスの重量でやっと機体の後ろが宙に浮いた。BUSH HAWK 2C1、私が今までに乗った中で、2番目に小さい飛行機だ。
一生忘れられない空の空の旅は、やっぱりハニーが操縦していた2人乗り飛行機だ。3年前、初めてアラスカを訪れた時は、毎朝5時起きで、向かいの湾まで連れて行ってくれた。ムースや熊や山羊を見たり、ブルーベリーの丘で天国の朝を迎えたり、氷河の上を飛んで、貝掘りをしたり。涙の出そうな景色を、たくさん、たくさん心に焼きつかせてくれた。ハニーは今年72歳。18歳で空軍に入ったハニーはそこで飛行訓練を積み、後にホーマーで民間の飛行機会社や木材会社を営んだ。48歳で退職してからは、今年の春までずっと飛び続けた。朝の飛行は、単なる娯楽ではなく、ムースなど狩りのために、動物の住処を探して回ったそうだ。

先ほどまで、私達の頭上高くにそびえていたMt. Glottofと同じ高さまで上がり、人間の匂いのする”都市”に手を振った。

約20分の飛行で、私達の狩猟の城となるウギャック湾の南に位置するイーグル・ハーバーに到着。機体が海に着水すると、私は浜へのジャンプに失敗し、見事に靴が濡れた。いや、そんなことはどうでもいい。機体が流れてしまわないように、私が翼を支える間に、ハニーとフォレスト、パイロットが全力で荷物を浜に運び出した。

Eagle Harbor上陸

△「上陸、イーグル・ハーバー」

「わぁ、だぁ~れもいないよ~!」


(続く)




■コディアック島に関するホームページ
▽州営フェリーAlaska Ferry Adventures

▽アリューティック博物館と考古史跡 Alutiiq Museum & Archaelogical repository 入場料:大人3$、コディアック地域の原住民会社の株保持者と12歳以下無料。有史前からのアリュート人の伝統工芸コレクションや、コディアックの経済を発展させた大手水産加工会社などの歴史的写真の展示がある。

コディアック観光局
上記、サイト内にあるお薦め風景写真集
http://www.kodiak.org/photo_gallery.htm

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