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地球と遊ぼう、ハイジの丘協会 2006年01月17日

2005年味噌物語 =作る楽しみ、待つ楽しみ、食べる楽しみ、分ける楽しみ= 

 ごりごりごり

 すりこぎと合わせる大豆の和音

 すり鉢の渦の中に、みんなを巻き込んでしまえ~!


2005年 味噌物語


今年も味噌作りの季節がやってきました。この味噌を語るのは格別。
たくさんの思い出と、大好きな仲間達の笑い声のこもった、私のお味噌。2003年、食育の活動を始めた冬、私の尊敬する佐藤未星さんの紹介で出会った、大島京子さんから習ったものです。

 「是非、大島京子さんと一緒にお味噌を作って欲しいの。
  素晴らしいから!」

佐藤未星さんの言葉通り、このお味噌は、我が家の文化となり、自分を語れる冬の仕事となりました。


<作る楽しみ>材料はすべて大分県の海、そして土からとれた、命のトップランナーを使っています。分量は、1口=10キロに対し以下の通り。

 □無農薬大豆 (大分県宇佐市、深見農園)・・・2キロ
 ■無農薬の米麹(同上)・・・5キロ
 □自然海塩・なずなの塩(大分県佐伯市米水津間越)・・・1.05キロ


▽そして、これがなくては語れない、日本の道具達
それは、すり鉢・すりこぎ、そしてたらい。すり鉢がなくても、現代人は生きていけるのですよね、ミルサーで。しかし実際に手にとってみたとき、その大きな懐に、力をこめてすりこぎをグリグリと回してみたときに、煮たて熱々、ホクホクの大豆達が、柔らかなペーストになっていく過程に、私達は感動してしまいました!

 おーっ!

 うまっ!
>▽<

子供達のおやつにもサイコー。毎年数百キロの味噌作りをしてまわる大島家の愛ちゃん(小6)、たくちゃん(小1)はこの味噌ペーストで育ったに違いない、というくらい。

作り方もいたって簡単。

1.大豆は、虫食いや傷んだ豆を取り除き、洗って3倍くらいの水に一晩つけ、柔らかく煮る。親指と人差し指で楽に潰せるくらいまで煮ます。圧力鍋を利用すると短時間で出来ます。

2.柔らかくなった大豆は煮汁を残し、熱いうちにすり鉢で潰します。冷めると潰れにくくなります。潰し加減は好みですが、豆粒がなくなるくらいにを目安に。ミキサーや餅つきなど利用すれば簡単です。
すり鉢で潰すと、たまに大豆の形が残っていて、それもまた風情よし。(料理するときに何故か1品目得した気分になります。)

3.潰した大豆は,人肌まで冷まし、麹と塩を均一にしっかりと混ぜます。麹が水分を吸うので大豆の煮汁を加えて、硬さの調整をします。

4.容器(陶器がベスト。なければプラスチック容器)は、しっかり水洗いの後、酒等で消毒します。雑菌も失敗の原因。しっかり混ぜあわせた材料を、容器に空気が残らないように、たたきつける感じでしっかりと詰めます。表面をならし、軽く塩(ふた塩)を振ります。

<待つ楽しみ>
5.材料が隠れるくらいの落し蓋をして、仕込んだ味噌と同量の重石を乗せます。落し蓋は、家庭によってそれぞれ。和紙を敷いて、酒を5mmくらいのせておくと、自然に空気調節ができカビが生えません。

涼しく、温度変化の少ない蔵や床下収納などに置き、1ヶ月に1度位は様子を見て下さい。漏れや蓋のはずれがないかどうかをチェック。湿度や気温が高くなると、大豆の汁が漏れることがあります。
これで仕込みは完了です。
ワクワク100日、待ちましょう。

上手に仕込み管理した味噌の食べごろは、白味噌が約3ヶ月過ぎ、ミックス味噌が約6ヶ月、赤味噌は10ヶ月以上置くと美味しく頂けます。


<分ける楽しみ>・・・広がる味噌仲間
最初の年は、15人で120キロ。あまりにも酷評だった翌年は、一緒に作った仲間のご両親や親戚、ご近所のお母さん・お父さんまで広がって、360キロを漬けました。アパートの小さな台所、団地の居間、農家の庭先や加工所、公民館の台所。場所にこだわらなくても、子供から大先輩まで、皆が1つのことに、こんなに集中して楽しめます。

三重町の公民館で、私よりもはるかに先輩のお母様方と一緒に作ったときのこと。発酵について質問されても、「まだ味噌修行中なので、きちんととお答えすることができないのです。申し訳ありませんが、ご近所におじいちゃま、おばあちゃまがいらっしゃったら、聞いてみていただけませんか。そしてまた私にも教えて下さい。」という始末。
でも、これでいんだよね!(笑)きっと、この楽しさは知識で語れないもの。私が1年、1年、人との出会いを通して学んでいくもの。私がおばあちゃんになった時には、きっと今以上の”知恵”が身についているはず。そして、この味噌作りが、各家庭の文化となるまで、私の修行は続きます。

味噌作りは男仕事、とはよく言ったもので、おおきなたらいの中で、渾身の力をこめて、材料を混ぜ合わせてくれた”人間味噌混練機”佐藤洋次郎さんの姿は、とても力強くたくましいものでした。雪の降る日の湯布院で、皆を車に乗せてやってきて、凍結してお湯のでない風呂場の蛇口で、丁寧にたらいを洗ってくれた姿、忘れられません。

そして、大島京子さんの、味噌作りにかける情熱、思い。
寝る間を惜しんで、この味噌作りの会の昼食のために、手作りの豆乳・おから料理(サラダ、団子など)・納豆・豆腐などを準備してきて下さったのです。彼女の熱い姿勢に、心打たれました。

この味噌は、全国各地、富山にも飛び、お裾分けにあずかるほどの好評ぶり。仲間達と作った味噌樽を持って富山に転勤した弟は、知り合いのいない土地で、味噌とコシヒカリや野菜を交換です。

そして、味噌を通して、たくさんの人との出会いを得ました。小さい頃、私の祖母が漬けてくれた味噌を思い出し、祖母と電話をする度に、「味噌豆は縁起がいいから、三里離れてても戻って食べなさい」などと、色んな物語を聞くことができるようになりました。味噌を通して、会社の上司や、おじいちゃま、おばあちゃま、色んな世代の方との交流をもつことができるようになりました。


▼トップの写真は、いよいよ2005年も終わろうかとしていた時、母にリクエストして送ってもらった手前味噌です。(5キロの国際郵便の送料(EMS)は米国まで8400円、着いたときには箱ごと味噌まみれでした^^;)

作る楽しみ、待つ楽しみ、食べる楽しみ、そしてこの美味しい味噌を大切な人と分ける楽しみ。そして伝えて喜んでもらえるという楽しみ。私の思い出や体験まで添えて贈る事のできるお味噌は、日頃からお世話になっている恩師や上司にまで、自信を持ってプレゼントすることができました。わいわいワクワク味噌作り、されど私を日本人にさせてくれる英知のお味噌。

今年は、どんな音が聞こえるかな?

味噌作り、

△2004年冬、はじめての味噌作りにて。2005年4月に結婚した後藤夫妻。こんな美味しいお味噌を持ってお嫁に送り出せたら最高!



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